インナーゴルフはインナーテニスのシリーズ本。
ティモシー・ガルウェイ氏がテニスで成果を挙げた(と記述している)
インナーゲーム理論をゴルフにも適用しようと書いたものらしい。
インナーテニスと同様にスポーツのパフォーマンスを上げるための
スポーツ心理(?)を説いている。
以下は私個人的解釈である。
すなわち
スポーツを行うときの心理として、ガルウェイ氏は
セルフ1という人間としての知識・欲・期待などを司っている心と
セルフ2という運動神経だけの(野性的な)心の2つがあり
これを上手に使うことで良い結果を得られると言っている。
ショットにしろ、パットにしろあらゆる運動は本来セルフ2が最大の
パフォーマンスを生み出すのだが、人間であるが故に、セルフ1は
この野性児を信用していない。あらゆる本を読み、理解しているのは
私(セルフ1)であり、おまえらのような野蛮な心理(セルフ2)なんかに
任せられん、としゃしゃり出てきて、セルフ2の仕事(本来各一人一人が
持っている最大の運動パフォーマンス)を無茶無茶にしてしまう、というのだ。
ゴルフは運動のパフォーマンスで、誰かと議論しよう、あるいは報告書を
書こうというのではないのだから、身体運動に関しては野性プロ集団に
任せればいいのに、これらを信用しない菅直人(?ゴメン)のようなエラソーな
ヤツが「君(セルフ2)は間違っている」「俺(セルフ1)の話を聞け!」というわけだ。
セルフ1の特徴は
「文字で語ること」
「結果を予想し語ること」
「名誉・栄誉が好きなこと」
「失敗が嫌い」
「心(多分自分の)が傷つかないように予防線を張ること」
等である。
よって、最終ホール、1.5メートル登りまっすぐのパット、これを入れれば、久々
30台なんてぇときに、セルフ2はまっすぐ登りパットだから感でパッと打てばいい
と思っているとき、菅直人が出てくるのだ。
「おいおい、ちょっと待てよ、これを入れれば、パーじゃないかー」
「これを入れれば、久々30台、アイツの鼻を空かせられる」

など、あるいは、
「これが外れたらどうしよう」、「いやいや外せないがんばろう」など様々な文字
を想起。そしてボールとホールの間にある、パットライン上に「~パーだー~」とか「30台だー」「はずすなぁー」とか文字が出てくる。緊張する。
手が震え、目がうつろになり、エイヤって打ったらラインが違い、タッチが強く入り、左を抜けオーバー1メートル。
返しは下りで慎重にいかにゃあならんのに、緊張が解けて、照れ隠しに「あーあ」なんて片手でパットし、また外し、パーどころかダボとなる。自己嫌悪。
こうならないためには、ガルウェイ氏はセルフ1をこうした場面に出演させない方法を提示している。
即ち、私の解釈では、アタマをイメージでイッパイにすること。ボールが
どのようなラインを通ってどのようなスピード転がるかを想像する、もっと言えば、
入ったボールを穴から取り上げることまで想像することにより、菅直人の出番が
なくなる。これにより、「これが入ったら」の結果を思い浮かべることが無くなる、
というのだ。
「よし、入れるぞー」もましてや「入らなかったらどうしよう」も皆、セルフ1のなせる
業である。これらも全て排除し、ボールをどのように転がしどこへ運ぶのか、を
想像するというのだ。
スイングにしても、アタマで覚えたチェック項目が多すぎて、「アドレスの始動はまず
右肩(あるいは左肩)で、クラブを30センチほど飛球線後方に引き、
そこから右腰の高さまで持っていく。このとき、左手首が折れないことを確認、
シャフトは地面と並行になるがクラブフェースは少し地面を向いた形になる、ここから
トップへは右肩を後方に引くように回していくが、右足はしっかり大地に根付かせる
ことを忘れずトップまで。右肘は地面を向いたまま、トップでは。。。。。。。」なんて
セルフ1が語って、各部分で「合ってるか、間違ってないか」なんて言われて、果たして
野性児くんのセルフ2がスムースに振れるだろうか。
野性児くんは単に1・2・3でクラブを振ればいいだけなのだ。ただ、野性児くんには
ちゃんとしたスイングを「感じてもらい」最大のパフォーマンスを実現してもらいたい。
では、どうするのか。。。。